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亜細亜的快適就職日記15
   
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     お金持ち華僑の家庭内の悩みとは、、、ไม่เป็นไร
 


アメリカやカナダ移住の華僑で有名な華僑と言えば、
広東人、福建人、それに台湾人。そして、近年では
上海人や北京人が年々増えているようだ。


それが、東南アジアでは地域によって若干異なる。


シンガポール、マレーシアでは、一番多い華僑が
福建人。次に、広東省北部の潮州人、南部の
広州人、海南人、客家人の順で、現在は、
中国大陸の東北人もちらほら増え始めている。
繁華街

台湾人は、言語的には福建省南部の言葉と同様の言語を
使用するので、シンガポール、マレーシアでは意思疎通に
問題ないが、シンガポールは国が小さすぎるのと、
商売上、大きなビジネスを起こすのに資本金が結構高い上に、
もはや先進国レベルの当国では、ニナ・リッチビジネスを
探すのも容易ではないと言う。


また、マレーシアはモスリム国家で、
台湾人的にはあまり興味がないのだろう。


バンコクの下町 面接で合格した後、社長室に呼ばれ、
アジア全体の地図を指して、近い将来
アジアの中心は上海、東南アジアの
中心はタイ・バンコクになるだろうと言われた。


ここタイでは、圧倒的に経済・政治で実権を握っているのが潮州人、
そして、次に台湾人、客家人、海南人、広州人、雲南人と
なっているようで、台湾華僑ビジネスマンである人は中国大陸に
目を向け、ある人はタイ、またはベトナムに目を向けている。


それから、よく広東語、広東語と言うが、実際は潮州語と広州語に
分かれていて、香港人が使う言葉は広州語になり、タイ華僑の
潮州人が使う言葉は潮州語で、その言葉の違いは、英語と
フランス語ぐらいの違いか、それ以上違うらしく、広州人と
潮州人では全く言葉が通じないそうだ。
(東南アジアの旅行会話とか言った本で、6言語でたいていの
所は、英語、日本語、マンダリン、マレー語、タイ語、広東語の
6つとして出版されているが、実際は広東語ではなく、
当地の華僑社会では、福建語、或いはタイでは潮州語なの方が
主流なのだ。)


ふかひれの屋台 それが、台湾語は福建省南部の言葉と
同様で、 広東省北部の潮州語に近い
言語なので、台湾華僑はタイ移住後、
潮州語の習得が比較的
容易なのかもしれない。


タイでビジネスを興すには、最低資本金が二百万バーツ、
日本円で約600万円程度で、保証人に潮州人を立てることが
多いようだ。


タイの潮州華僑の特徴は、「拾金不昧」の模範の中国人
の例えで、呼んで字の如し、「拾ったお金を誤魔化さない、
あいまいにしない」の精神で、信用を重んじながら、
タイ社会にも順応していった。と言うよりも、
そうせざるを得なかった中、タイ経済の中心を
支えるまでになった強さがあるのだ。


前置きが長くなったが、勤務先の社長は、台湾華僑で、
会長と言うより保証人は潮州人のおじいちゃんだ。


1978年会社設立で、製粉関連の
当業界ではタイ国内でビック3、
また、食品関連でカテゴリーを絞ると
直ぐにばれそうなぐらいある部門
(タイ人で、またタイ在住の
日本人で知らない人はいない)で
ナンバー2のシェアを誇り、
全部で7社ほど会社を持つ実業家だ。
バンコクのチャイナタウン


ただ、社長には男兄弟がいて、三男は現工場長(いつ
行ってもパソコンでポーカー・ゲームをしている)だが、
1年ほど前まで居た次男(当時の工場長)は社長と
喧嘩別れして、製粉関連の会社を興しているのだ。


会社にも徐々に慣れ、お客さんから質問があった。
「なぜ、御社はISOを取得しないのか?」と、、、


専務に聞いたところ、叔父さん
(社長の弟)が「ISOなんぞ
ペーパー・ドライバーみたいなもので、
あれがあったからと言って何の
メリットもない。」と言って、在職中は
そのアクションを全く起こさず、
自身で会社設立後、半年でISOを
バンコクのチャインタウン
取得し、且つ、日本向け製粉ではタイ国内で一番安く
販売しているとの事で、筋書きまできちんと考えて会社を辞め、
現在に至るという事だ。


それ故に、専務も「まあ、騙される方にも落ち度がある
わけなので、、、ただ、ISOはまだ先になるが、セールスに
関しては、叔父さんに負けたくないし、社長を僕と一緒に
立てて頑張ってくれないか。」と、、、


社長の長男の専務は、兎に角、根っからの仕事人で、
実質社長は経営トップで有り、専務が業務上のトップで、
朝から晩まで昼休みも仕事をしていて、また、月の半分は
中国や東南アジア、アメリカへの出張だ。


それに対して、次男の常務には驚いた。
初対面で会った時、見かけと言い流暢な
英語と言い、格好いいなあ、仕事が
出来るんだろうなあと思ったが、
その後、会社で見かけず、2週間後、
見た時には、顔がこんがり日焼けしていた。
一体、何処に行ったのか、誰も知らない。




長男が高校生の頃、台湾からタイに移住してきて、
その当時は会社も資金繰りがきつく、大学進学をあきらめ、


1年間アメリカでバイトをしながら語学学校、その後
1年間、今度は、日本は東京で、、、初めて貰ったバイト代で、
パチンコ屋に行って、勝ったのはいいが、ボールペンを貰って、
当時、日本語が出来ずどうしたらいいか解らなかったそうだ。


次男(常務)の高校生の頃には、会社も
右肩上がりでの利益が出だし、UCLAに
留学。
4年後、日本の大手商社に入るものの、
日本社会について行けず、2か月でリタイア。
その後、タイ帰国、現在に至る。
タイの鉄道


接待で、日本人と中国人のお客さんと高級クラブに行った時も、
専務は会食の時からずっとお客さんに気を使って、
おしぼりを取ってあげたり、中華料理では小皿に日本人の好み、
中国人の好みと若干違う事を考慮して、とってあげる料理にも
神経を使い、ある時は、日本留学時代の失敗談、ある時は、
中国人に突っ込んだりして話を盛り上げていたが、
常務はアメリカの話ばかりでとどめは、クラブでは
お客さんに負けんとばかり、店外デート、、、、


専務は、営業、仕入、工場管理、品質管理、それに総務の
事まで、、、本当、大忙しである。

でも、人に対して優しく、自分に厳しい。
だから、会社で専務の事を悪く言う人はいない。

長男か次男でなくて、その時の家庭内の
経済環境、その後、勉強した土地、
社長曰く、次男も長男と同じ1年アメリカ、
1年日本、いや、性格的にも日本で
最初から勉強させておけばよかったと、、、
タイの写真

お金持ちの華僑の家庭にも悩みがあるようだ、、、