深く入り組んだリアス式海岸の半城湾の風景をみていると、様々な事が思われる。
かつて壱岐市の郷ノ浦町の沼津地域には戦時中「お医者さん」さえも自由に入れなかった地域と
言う。
また、少し脚を黒崎半島まで伸ばすとかつて「東洋一とさえ言われていた砲台跡」もある。
奥まった地形からしても軍事的に重要な役割を担っていた反面、物資の供給に人々は尽力を
尽くした。
平坦な壱岐の島にあって遥か太古の時代には「半農半漁」での生活の中で、新天地を求めて
この地の利を知って住み付いた人もいるだろう、、、
半城湾にはいろんなものを受け入れて来た歴史があるようだ、、、
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