明治四十二年(一九〇七年)に、祥雲寺五代・蓬莱広信和尚によって建てられたものである。
当寺ではその翌年に江湖会(曹洞宗で四方の僧侶並びに檀信徒を集めて修行を行うこと)が催され、
これを機に建立されたものと言われている。
石工は布気(現勝本町百合畑触)の茶屋本初蔵(慶應元年生、大正四年没)で、初蔵四十四歳
の時の制作である。
ところで当寺の様な石燈籠の上に鯱を戴く山門は島内にはなく、おそらく広信和尚の考案で
あっただろうが、これを彫刻した初蔵は、明治時代に於ける壱岐の石工の技術の高さを示す
逸品を残したことともなった。
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