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竜宮伝説@ |
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浦島太郎や竜宮城の伝説は、日本をはじめベトナム等世界で数箇所語り継がれているが、ここ
嫦娥島付近が竜宮城の伝説に最も符合していると言われている。
郷ノ浦町華光寺の古い所によれば嫦娥島を竜宮城と記しており、ここの男女二体の仏像の一体は
浦島太郎、ほかの一体は浦島太郎が壱岐の死で恋に陥り、白髪になってから故郷に帰った際、
思い出に持ち帰ったのではないかとも言われている。
竜宮城と嫦娥島の共通点を探すと、外国に行く航路のそばにある風光明媚の地で、タイたヒラメ
の多い好漁場で、行きかう船が島に立ち寄り竜宮城御殿では美しい姫たちが神にささげる布を
織っていたと伝えられ、そのうちのひとりと浦島太郎(本から来た人)が恋に陥り、恋が終わって
故郷に帰ったとき白髪になっていたという話。
こちら嫦娥島のある界隈を渡良地区と言い、そこには渡良浦と小崎と呼ばれる二つの漁港が
あります。
小崎はその昔、福岡の鐘ヶ崎の人々が江戸時代鯨を取るために壱岐に来島し、そのまま定住した
人たちが集落を作った。
また、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、水先案内人を出し、その功績により、壱岐のどこででも、
漁ができるという特権をもらいました。
渡良には「大島屋」「いずみ屋」と言う海鮮問屋が当時あって、その後、県の機関を通じて中国大陸
に輸出貿易を行っていたと文献にも残されている。
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竜宮伝説A |
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竜宮伝説B |
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古文書
所蔵機関 |
壱岐郷土館 |
※西郷従道
鹿児島県生まれ。
文部卿、陸軍卿、農商務卿を歴任。18年(1885)内閣
制度が創設されると、第1次伊藤内閣の海相に就任。
27年(1894)海軍大将となる。海相として日清戦争を迎え、
翌年、戦功を認められ侯爵に叙位。31年(1898)元帥。
海相在任は通算10年に及び、海軍の整備、改革に
尽力した。
お兄さんは歴史的に有名な西郷ドン(西郷隆盛)。 |
文書名 |
大島家文書 |
史料番号 |
3-1-9 |
表題 |
(達) |
年代 |
(近代) |
作成 |
農商務卿 西郷従道 |
内容 |
沿海での鮑捕獲について |
形態 |
一紙 |
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所蔵機関 |
壱岐郷土館 |
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所蔵機関 |
壱岐郷土館 |
文書名 |
大島家文書 |
文書名 |
大島家文書 |
史料番号 |
2-34 |
史料番号 |
2-42 |
表題 |
葉書 |
表題 |
葉書 |
年代 |
(明治以降)14年8月4日 |
年代 |
大正14年□(5)月29日 |
作成 |
大阪市南区安堂寺橋通二丁目六番地
佐渡島西店 |
作成 |
下関岬之町六〇番地
宮本運輸合名会社 |
宛名 |
壱岐渡良渡良鑵詰所 |
宛名 |
長崎県壱岐郡渡良港
和泉屋商会 |
内容 |
錻力板の積入案内書 |
内容 |
和泉屋よりのウニ貨物到着案内 |
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所蔵機関 |
壱岐郷土館 |
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所蔵機関 |
壱岐郷土館 |
文書名 |
大島家文書 |
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文書名 |
大島家文書 |
史料番号 |
2-56 |
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史料番号 |
2-53 |
表題 |
葉書 |
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表題 |
葉書 |
年代 |
(大正)14年9月22日 |
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年代 |
8283 |
作成 |
呉市中通二丁目青物市場一番地
丸名組業務主任大段数一 |
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作成 |
和歌山県西牟婁郡新庄村
紀州貝釦株式会社 |
宛名 |
長崎県壱岐郡渡良港 和泉屋商会 |
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宛名 |
長崎県壱岐郡渡良港
渡良鑵詰所 |
内容 |
目下当地一般煎干鰛、一般干魚の売行至
って好人気に付、本日売行直段の通知他 |
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内容 |
鮑魚値段書合ひせざる内に決定
したことへの遺憾の陳述 |
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※わが国ボタン産業史の一齣 |
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