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    いつもの寄り道戻り道・恩師との再会B

「君は俺との約束を破った。」

その言葉が頭から離れられなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・

「でも、先生との約束をずっと覚えていたし、それを先ずはそれを実行できたし、そして、
これからも、、、」

先生は、とても嬉しそうに、当時の思いを話し始めた、、、

「あれは、試験中だったよね、、、」

当時の母校は特別進学クラスが2クラスあり、全盛期はそのクラスの殆どの生徒が国公立、
東京六大学、関西六大学に入試をパスするほど結構レベルの高い学校だった。

それ故に、試験中は午前中が試験で、午後は家に帰って試験勉強をするのが普通で
「半ドンこれ幸い」と思っていた自分と学校とは大きな開きがあったのだ、、、

「覚えているか、学校の対面に聳え立つ公園の頂上に昇ると、君はその下のベンチのところで
確かひとりじゃなかったよね、、、」

思わず噴出しそうになった。校長先生の立場と年齢なのか、「試験休みの度、女子学生を連れて
一体学校を何だと思ってるんだ。」、、、、「当時はそんな感じで怒られましたよね、、、」

時間が一瞬にしてフラッシュ・バックして、同行していた年配のI先生が仲裁に入らなければ、
大喧嘩になりそうだった事をふたりして思い出した。

停学を繰り返し、「先生覚えていますか?」

「いや、何を言ったのか覚えていないが、兎に角、当時の俺は君に少しがっかりしたところが
あったのかもしれない、、、」

・・・・・・・・・・・・・・・

「先生、俺今不良でもね、いつか貧しい国に行ってボランティアをしたいんよ、、、」

高校1年時学校から訓戒処分を受けた時、先生は「お前は頑張れば出来るんだから、、、」
その言葉で自身の気持ちを開いてくれたのだ、、、

20代〜30代前半まで旅行業やホテル業に従事していた事もあり、旅行会社のセールスマンから
当時の先生達のご活躍を耳にした事があり、お互い過去から現在に至るまでの経緯などを話した。

「アジア諸国で暮らしていたんだって、、、」

「中国で留学し、その後、タイで商社マン相手に食品関連のセールス、そして、
物流会社で働いていました、、、」

「今からは中国語だからね、、、」

「先生、あの時、先生から約束を破ったって言われて、ずっとそれを覚えていて、
中国で最初は日本食レストランに居候してお店を手伝ったりして、空いた時間で日本語を教えて
いました。

まあ、国民性もある事なので、少しばかり授業料を取り語学留学の学費の足しにしました。
生徒も日本語ガイドになったり、或いは、日本と貿易の仕事をしていますよ。」

「良く頑張ったなあ、、、、」

「いや、頑張ったのは私ではなく、生徒ですよ。生徒に支えられました、、、」

・・・・・・・・・・・・・・・

それから30分ぐらいだろうか、時の流れを感じさせない、不器用で朴訥だったが故の若かりし頃の
誤解が解け、話も積もった、、、

校長室を出て、校舎を出る時に、先生に言った、、、

「先生、まだ先生との約束は始まったばかりです、、、、」そして、自身の思いを伝えた、、、

「・・・・・・」先生は力強く握手をしてくれた、、

恩師との再会。自身の中では最高の先生だ、、、

4半世紀経った今素直にそう言える、、、


支社長時代 30歳時


世界文化遺産のまちから 〜中華人民共和国雲南省麗江古城〜
歴史文化遺産にも指定されているお気に入りの場所

       
       
   
   
                   
 
     
     
     
 
           
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