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      岳の辻

壱岐の島で一番高い山が岳の辻で標高はわずか212.8メートル。
※212.6メートル、212・9メートル説もあり!

お隣の対馬の最高峰・矢立山(648.5メートル)の3分の1ほどの高さで、
対馬が男性的、壱岐は女性的な島と例えられることもおおい。

然しながら、かつて対馬同様壱岐は国防の最前線であり防人が置かれた場所でもあった
のだ。

近くにある見上神社には遠見場所が置かれていた。
   
         
 
   
 
☆岳の辻
       
       
☆見上神社      
   
 
     
     
 
                 
    人在壱州 鈴木栄太郎

日本の社会学者。農村社会学・都市社会学の泰斗。自然村対行政村の概念を提示。

1894年、長崎県壱岐島に生まれる。長崎県立壱岐中学校、旧制第一高等学校を経て、
1922年に東京帝国大学文学部を卒業。

※旧制第一高等学校)は、現在の東京大学教養学部及び、千葉大学医学部、同薬学部の
前身のとなった旧制高等学校である。

東京帝国大学文学部を卒業後、岐阜高等農林学校教授(1925年〜)、京城帝国大学助教授
(1942年〜)を経て、1947年より北海道大学教授。

1946年にはGHQ民間情報教育部顧問を務めた。

北大退官後は、東洋大学教授(1958年〜)、和光大学教授(1965年)を歴任し、1966年、
死去。

研究

農村社会学については『日本農村社会学原理』(1940年)、都市社会学については『都市
社会学原理』(1957年)を著わし、それまで体系化の進んでいなかった両学問分野の
方法論を提示し、先駆的な業績をのこした。

農村の生活諸関係の累積の中に(行政村に対峙する)「自然村」を見いだすとともに、
社会的交流の「結節機関」の集中、累積の中に都市の本質を求めた。そして、この
結節機関によって連結される村落と都市の全体として、国民社会が成立すると論じた。

シカゴ学派に対する批判者としても知られ、日本の都市社会学者、農村社会学者の
第一人者である。

主な著作
『農村社会学史』(刀江書院、1933年)
『日本農村社会学原理』(時潮社、1940年)
『朝鮮農村社会踏査記』(大阪屋号書店、1944年)
『日本農村社会学要論』(時潮社、1949年)
『都市社会学原理』(有斐閣、1957年)
『国民社会学原理ノート』(1970年)
『鈴木栄太郎著作集』(全8巻、未來社)

翻訳
ハーバート・スペンサー『個人対国家――諸科学の分類・社会有機体』
(社会学研究会、1923年)
レオナルド・ホブハウス『国家の形而上学的学説』(不及社、1924年)
   
                 
 
 
     
     
 
           
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