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    湯の本温泉 山口常光像    
         
  初代警視庁の音楽隊長を勤められる。

明治27年5月15日鯨伏村・現在の壱岐市勝本町本宮触生まれ

警視庁の音楽の草分け的存在として「音楽の父」の名で親しまれ、晩年は
郷土の小学校、中学校等の作曲を数多く残された。
   
         
       
         
 
       
         
山口常光翁 年譜
   
1894年  明治27年  長崎県壱岐壱岐市勝本町本宮南触に、父・八尾助と母・クラの五男として
誕生。 
1912年  大正元年 陸軍戸山学校に入学。
1913年  大正2年 軍楽隊付(クラリネット)となる。
1918年 大正7年 東京外国語学校専修科フランス語部に入学。
1920年 大正9年 東京外国語学校専修科フランス語部を卒業 
1930年 昭和5年 ヨーロッパ留学の内命を受ける。
横浜港から香取丸にてヨーロッパへ出発。
ギャルド軍楽隊に委託生として入学。
1931年 昭和6年 ギャルド軍楽隊を卒業。アジア人としては初めて、ベルリン・フィルハーモ
ニーのピアニスト、フォン・フールテに指揮法を学ぶ。
1938年 昭和13年 中支那派遣軍総司令部軍楽隊長(軍楽中尉)として上海へ赴任。
1940年 昭和15年 従六位に叙せられ、勲四等旭日章を受ける。
1942年 昭和17年 陸軍戸山学校軍楽隊長に任じられる。
1943年 昭和18年 乗馬軍楽隊を初めて一般公開。軍楽少佐に昇進。
1945年 昭和20年 陸軍戸山学校の代理校長に就任。
陸軍軍楽長は禁衛府皇宮奏楽隊として発足し、その隊長(皇宮衛士監督、
高等官五等)となる。
1946年 昭和21年 皇宮奏楽隊が解散。宮内省禁衛府長官から感謝状を受ける。
皇宮奏楽隊はNHK奏楽団として発足し、その団長となる。
1948年 昭和23年 警視庁音楽隊を創設。警視庁音楽隊隊長に就任。
1949年 昭和24年 東京日比谷公園で水曜コンサートを開始。
1952年 昭和27年 警視総監より表彰を受ける。警視庁警察技師に任命され、二級に
叙される。
1954年 昭和29年 警視相当職となる。
1957年 昭和32年 警視庁を依願退職。警視庁音楽隊の指導を嘱託される。
東京都知事安井誠一郎より、音楽を通しての都民文化進展の功により
感謝状と記念品が贈られる。
財団法人警察協会より、音楽についての事務取り扱いを任される。
1959年 昭和34年 皇宮警察音楽隊講師となる。
東京電気通信局長の辻正より、同局吹奏楽団育成に対し、感謝状が
贈られる。
1960年 昭和35年 相愛女子大学教授となる。
1969年 昭和44年 医王山報恩寺住職の松永快濶より、「積徳院音興政通常楽居士」の戒名
を受ける。
1976年 昭和51年 水曜コンサート500回記念演奏会で「抜刀隊マーチ」を指揮。(82歳)
海軍軍楽長内藤清五とともに、NHKFM放送「楽団をつくった人々」に出演。
1977年 昭和52年 心筋梗塞により、東京にて逝去。享年82歳。
内閣総理大臣福田赳夫より、銀杯1個が贈られる。
   
         
    主な著書     
    「弦楽器論」(1926年(大正15年)3月25日, 岡田日栄堂)
「信号ラッパ奏法」(1935年(昭和10年)6月5日, シンフォニー楽譜出版社)
「吹奏楽編曲法」(1952年(昭和27年)6月20日, 全音楽譜出版社)
「オーケストラ編曲法」(1952年(昭和27年)10月30日, 全音楽譜出版社)
「吹奏楽教本」(1955年(昭和30年)1月20日, 音楽之友社)
「陸軍軍楽隊史」(1968年(昭和43年)11月15日, 三青社)
※1973年(昭和48年)4月30日に改訂版を出版。
「目で見る吹奏楽百年史」(1971年(昭和46年)6月30日, 恵雅堂)
「日本ラッパ史」(1973年(昭和48年)1月10日, 米子プリント社)
「欧州旅行記」(1974年(昭和49年)11月, 米子プリント社)
   
         
 
 
 
           
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