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  おとなの島歩き 一支国ウオーカー 原の辻遺跡   
 
おとなの島歩き(PC・携帯兼用)   まだまだあるよ・しま歩き!!  
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  原の辻遺跡

Click to play this Smilebox slideshow: 2009Haranotsuji ruins

原の辻遺跡があるこの地は、中国の古書「魏志倭人伝」の中に出てくる一支国の中心であった
だろうとされ、古くから中国大陸や朝鮮半島と交易があったという。

太古の大昔はそれらが陸続きであったとの考古学の観点と、「ジャーニー・オブ・メン(人類の
軌跡)」から見る人類学の観点からしても、陸路で渡ってきた時代、そして、海で渡って来た
時代、その後の海洋技術の発達からみてもそれらの移動や伝播等を持った人たちのDNAまでも
考えさせられる。

古代から一支国で暮らしていた土着の人々、当時から大陸や半島から海づたいで渡ってきた
人たちは何を思い、そして、どうやって渡ってきたのか、、、

中国の北京語の表現では、月曜日を「星期一」、火曜日を「星期ニ」と言い、広東省では
「礼拝一」を月曜日、「礼拝ニ」が火曜日になる。それは、太陽や月等、天体や迷信での
海上での航海ではなかったのだろうか、、、

それは、古代史の中では比較的新しいとされる秦の始皇帝の「不老長寿」伝説、遣隋使や
遣唐使の寄港地として、そして、明の時代との中国との繋がり、それは、古代史がぎっしり
詰まった一支国から始まり、海のシルクロードの拠点として栄え、今では隠れキリシタンの
存在も解明されている。

歴史悠久、その中で日本国内だけでなく大陸や半島の文化の伝来、それは風土や食文化、
宗教など数々のものを東西南北海で囲まれるこの地は「十字路の口」の中に受け入れてきた。

原の辻遺跡界隈は、風の強い日は「耳が切れそうなほどの強い風が吹く。」と地元では
例える。

正に、そこは「一支国の十字路の口」として時として、四方からいろんなものを
受け入れて来た、、、

遺跡の紹介(下記文字をクリックしてみて下さい。)
交易の倉  従者の宿舎  使節団の倉  食材の倉  祭りや儀式の場 祭器・儀器の倉
穀倉  原の辻遺跡の写真館①  原の辻遺跡の写真館②
 
 
     
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原の辻遺跡


原の辻遺跡/
 
 
リンク・・・島のアルバム・原の辻遺跡群
 
     
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