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路地裏物語 運河沿いの港町
瀬戸浦近郊 恵比須・ちどり荘跡
鯨組の基地として栄えた恵比須港をぐるっと囲むように見張らせるこの地は、昭和初期から
中期にかけて全盛を極めた頃、「印通寺浦に熊本別荘(碧雲荘)、瀬戸の恵比須に松永別荘あり」と
言われたほどのお家である。
この松永別荘と言われたところが「ちどり荘」で、一家は現在東京にお家があり、そこで生活を
されているとの事だ。
敷地内には、季節の花が咲いており、六面地蔵も祀られてあって、当時の面影が今でも
残されている、、、 |
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遊歩道を歩いて別荘へ |
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眼下には恵比須漁港が、、、 |
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六面地蔵さん |
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季節の花 |
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人物伝 松永登一
明治元年(1868年)4月26日生
家は先祖代々士族の由緒ある家柄であり、武士の血を受け継いで育ったのである。成人後は軍籍に
身を捧げた。
明治19年(1886年)東京陸軍教導団を経て軍人精神に徹し軍隊生活をした。明治27、8年(1894年)、
明治38年(1905年)の日清日露の両大戦に応招参戦した。
戦功により従七位勲五等陸軍少尉という栄誉ある経歴を持つ純粋なる軍人肌の人格者であった。
氏が軍隊在職時代に対馬の万関瀬戸を開削して海軍の小艦艇が通過出来る様大仕事が進められ、
その作業指揮官として活躍し完成させた事が語り伝えられている。
軍隊退役後は郷里に帰り恵比須港北東側に居を移し、邸宅を新築し地域の指導者として活躍した。
大正6年(1917年)箱崎村村会議員に立候補、当選し二期八年間村政に参画し、軍隊時代に培われた
剛毅と高潔清節の気風を忘れず常に村会議員政治にその手腕を発揮したのである。
氏はまた、漁業の振興にも意を注ぎ貢献する処は大であった。
また鰤飼付漁業が壱岐全島合同事業となり、○一漁業株式会社が設立され自らも重役となり先の
川町に事務所(前目鰤座)が設置され所長に就任し鰤飼付漁業の豊漁と併せて事業の発展に
貢献した。当時の漁業界に「松永」の名をとどろかせたのである。
老後に在りては前浦漁場と八幡半島が一望できる恵比須港の一隅にて悠々自適の余生を送り、
昭和17年1月28日77歳で死去した。
松永スミ女史は長男保氏の夫人であり、地域婦人の地位向上のため、あらゆる分野に活躍し、
又自らも昭和26年(1951年)箱崎村村会議員に立候補をなし村政史上初の女性議員として当選し
以来芦辺町との合併時迄議員として村政に貢献した。 |
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