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長四郎塚
時は天保の時代、平戸藩主の家老の行列の一行が重々しく通っていた。
人々は通りの傍にひざまずき、行列の通り過ぎるのをじっと待っていた。
そこへ釣竿を片手に地命寺坂から走り下った何もわからない七歳の長四郎は行列の先頭を
横切ってしまった。
先頭を進む長老の侍は見てみぬふりをしたが、若い供侍は許さず、刀を抜いて泣きながら
逃げる長四郎を「沖ノ瀬」まで追いかけて首を切ってしまった。
その後、人々はかわいそうに思い、墓を作ってあげ、今でも地元の人は手を合わせている。
勝本の人達の良さはそう言った思いやりの信仰心が今でも残っている事だろう、、、
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人在壱州 中上史行
長崎県壱岐市出身の歴史研究家、元勝本町立勝本小学校校長、長崎県文化財保護指導委員。
1930年 |
長崎県壱岐郡(現・壱岐市)に生まれる。 |
1953年 |
東京学芸大学社会学部史学科を卒業する。東京都立学校に勤務する。 |
1963年 |
長崎県に帰って公立学校に勤務する。 |
1973年 |
「壱岐国物語」を自費出版する。 |
1980年 |
「日本城郭大系」(共著)、「勝本町漁業史」(共著)が出版される。 |
1990年 |
長年の社会科教育及び郷土史研究の実績に対して、長崎県より「教育関係職員顕彰」
を授与される。 |
1991年 |
勝本町立勝本小学校の校長を最後に、定年退職する。長崎県文化財保護指導委員
となる。 |
1993年 |
「日本の創造力」(共著)が出版される。 |
1995年 |
「壱岐の風土と歴史」を自費出版する。 |
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主な著作物
著書
「壱岐国物語」自費出版 1973年
「紀行」 1990年
「壱岐の風土と歴史」自費出版 1995年
共著書
「日本城郭大系」(共著)新人物往来社 1980年
「勝本町漁業史」(共著)漁業協同組合 1980年
「日本の創造力」(共著)NHK出版 1993年 |
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※当ホームページ管理人が幼少のころ、地域学を研究していた父が頼りにしていた人が中上
史行先生だった。
質問があったのは恐らく父だったろうに、史行先生はいつも笑顔で我が家に訪ねていただいては、
興味深い話をされていたのが思い出深い。
それ以来歴史が好きになった。 |
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