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河合曽良終焉の地
河合曽良は長野県諏訪市にて慶安二年(一六四九年)に生まれ、35歳の時に松尾芭蕉に出会い
入門し、芭蕉門十哲の一人である。
曽良は、幼くして両親、養父母を相次いでなくし三重県の伊勢長島の伯父の家で成人した。
俳号曽良の由来は、伊勢長島の地が木曽川と長良川に挟まれていたことに因み、二つの川の
「曽」と「良」をとり、俳号を「曽良」としたと云われている。
宝永七年(一七一〇年)巡見使一行(三五名)の随員として壱岐勝本まで来たものの、旅の疲れが
出たのか病床に臥し、ついに当時海産物商を営んでいた中藤家で62歳の生涯を閉じた。
曽良の墓は勝本城跡中腹の能満寺上の中藤家の墓地にある。
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