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おとなの島歩き(PC・携帯兼用)
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永取家の鯨供養塔
永取家は、元治元年五月(一八六四)永く鯨を捕るようにと平戸の殿様から
「永取」を拝命し、勝本鯨組の頭として隆盛を極めた。
鯨を取って得たお金は、藩主の参勤交代の献金となっていたそうだ。
永取家は、平戸藩主から拝命を授かる前は、原田姓(七之助)で活躍している。
四国八十八箇所奥院建立縁記(文政6年)に原田七之助の氏名が見られることからみて、
文政年間には鯨組に関係があったとみられる。
古文書②
前目勝元鯨組永続鑑
著:原田組
成:享和2年
前目は今の壱岐市芦辺町恵比寿浦、勝元は勝本町田ノ浦である。この2か所に土肥鯨組の
捕鯨基地があったのを、原田組が引き継ぎいた。運営の方法も同様である。永続鑑は土肥
組のものに比べ、前文と明和7年からの鯨の捕獲本数を省いている。前細工之始終一切
註文の事、諸注文諸色代銀掛積の事、前細工貸銀大積の事、羽指加子貸銀の事、鯨船
双海持道具の事、大納屋定法の事など42項にわたる。御運上、鯨突褒美の事は新しく追加
してある。
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①
鯨組・土肥家の阿房塀
②
長四郎塚
③
諏訪大社の御柱
④
勝本朝市
⑤
原田酒造1
2
⑥
旧泉屋商事
⑦
朝鮮通信使接待所跡
⑧
聖母宮
⑨
馬蹄石
⑩
鯨供養塔
⑪
対馬屋敷の跡
⑫
河合曽良終焉の地
印鑰神社
つたや旅館跡
洋館跡
ぶらり勝本浦町歩き
持送り
格子
勝本漁港
※
勝本城跡 城山公園
※
曽良の墓
※
イルカパーク
☆
勝本港近郊
ぶらり港町第2弾!
ぶらり港町第3弾!
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